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2017年4月26日 (水)

「子育ち」と「どんぐり倶楽部」 その2

引き続き、
「子育ち」と「どんぐり倶楽部」を並べて考えていきます。

〜〜〜

■「どんぐり倶楽部」での「分かる」と「考える」

「分かる」とは、
言葉を聞いてそれを視覚イメージ化できることです。
視覚イメージ化できるものは絵に描くことができます。
絵に描くことができるものは「分かっている」ということになります。

例えば、
ウメ子ちゃんと文章問題をやっていて、
「バシャって何?」と聞かれたことがありました。
「お馬さんが車を引っ張っているんだよ」と言うと、
絵を描き始めました。
ウメ子ちゃんは馬車(ばしゃ)という言葉を聞いたことも
実物を見たこともなかったのです。
分からないものは描きようがないのです。

(※日常会話では、
「バシャって何?」と聞かれたら、
マツお母さんは「バシャってなんだろうね」と真似で返します。
ここでは、算数の問題なので分からない単語には説明を入れています。)


「考える力」とは、
言葉をイメージ(主に、視覚イメージ)化し、
そのイメージを操作する力
のことを言います。

パッと見て、
答えが分かるかどうかが問題なのではなく、
答えが見えてくるように工夫しながら絵を描くことが大事なのです。
大事なのは、答えではなくて、
工夫をするという部分、つまり自分で描いた絵の方なのです。
答えはオマケです。

文章(言葉)を絵にし、
問題文に沿って絵を付け加えたり、描き直したりして、
自分で描いた絵を分かりやすく工夫しながら変化させるということが、
「考える」ということです。
それにかわいらしく色を塗って楽しんだりすることで、
考える力は伸びていきます。

〜〜〜

「子育ち」という視点でとらえているマツお母さんは、
これは生活の場面の指示出しにも通じるのではないかなと思います。

子育ちでの指示で大事なことは、
「具体的で肯定的に」ということです。

「やめなさい」とか
「待ってください」とか
「ちゃんとしなさい」とかいう曖昧な言葉は避けます。
「片付けてください」ではなくて、
「元の場所に戻してください」と言います。
「登らないで!」ではなくて、「降りてください」になります。

「登らない」は選択肢が多すぎてイメージしにくいけれど、
「降りる」ならイメージしやすいのではないでしょうか。

母親はつねに具体的で肯定的な指示を出すために、
頭を働かせる必要があります。
でも、この言葉を選んでいく作業は、
子が「分かる」ように、
つまり頭の中でイメージしやすいように
言葉遣いを選んでいる(工夫している)ということなのだろうなと思います。
「分かる」言葉でないと、子に伝わらないからです。
母親が「考えて」指示を出すことで、
子にとっても頭の中でイメージしやすい「分かる」言葉をひとつひとつ
増やしていっているのではないかなと思います。

あと、
子育ちでは母親が指示を出して、
子が「イヤ!」とか「やだ!」って言ったときに、
子の頭の中で指示の内容がシミュレーションされているから、
やっていなくてもやったことと同じと考えます。
これも、
指示が子に強制的にさせるものではなくて、
その場その場でやるべきことが「分かる」(=イメージできる)ようにすることの方が
大事だからと言えるのではないでしょうか?

それから、
「子育ち」では語るということをやっていきます。
その場で、後から、
子の物語を言葉にして子に返していきます(環境でも返していきます)。
母親は具体的な視覚イメージを言葉に変換して子に伝え、
子は受け取った言葉からまた視覚イメージに変えて、
頭の中で再現しているのだろうと思います。

毎晩、マツお母さんは寝る前に「ウメ子ちゃんの物語」を語っていますが、
ウメ子ちゃんは絶対に「ウメ子の今日の話がいい」といいます。
自分が主人公となって動いていく物語以上にイメージしやすくて、
心が動いておもしろいと感じるものはないのでしょう。

子育ちっ子は、
「聞く力」、「イメージ再現する力」を
語りの中でも身につけているのではないかなとマツお母さんは思うのです。

(そういえば、ハイデブラントの『子どもの体と心の成長』にも、
イメージのことが書いてありました^_^ →この記事に引用を載せてます。)

☆過去記事→「生活の場面では具体的で肯定的な指示を出す」
☆過去記事→「子に指示を出して「やだ」と言われたとき」

〜〜〜

「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」は教材なのですが、
子たちの心を守るように作られています。

普通、文章問題というと、
式を立ててから計算をして答えをだすというやり方が多いのです。

どんぐり倶楽部の文章問題では、
絵を描きながら解いていきます(こんな感じです→「ウメ子ちゃんのどんぐり倶楽部」)。
問題の中に様々なキャラクターが出てくるのですが、
それを自分だけのオリジナルキャラクターにして動かしていきます。
すでに書いたように、「答えはオマケ」です。

キャラクターや物語に感情移入して、
楽しくお絵描きしているのを見ることができれば、
感じ、味わうことができていると一目で分かります。

この味わう機会を奪って、
計算式を書かせることに価値を置いたり、
答えを速く出すことが優れていることだと思い込ませたりすることは、
大人の思いとは逆に、
子たちの「学力」を潰してしまうのだそうです。


今の世の中には、
「勉強ができる子を育てたい」と思っている親と
「勉強なんてできなくてもいい。大切なのは人間性」
だと思っている親がいるようです。

「勉強ができる子を育てたい」と思っている親は、
勉強が「できるようになる方法」を教えてしまいます。
算数なら、「何算だと見分ける方法」、「公式」、「解法」。
国語なら、「すらすらと読めるまで繰り返し音読すること」、
「ドリルの漢字を繰り返し書くこと」。
理科・社会なら、「暗記すること」。
こういうことが「できているかどうか」を試して、
それを評価するやり方です。

一方で、
「勉強なんてできなくてもいい」と思っている親は、
勉強ができないのをその子の能力のせいにして、
勉強に向いていないのだからとあきらめさせ、
勉強以外の分野で頑張りなさいとアドバイスしたりします。

どちらも、
「分かる喜び」と「考える楽しさ」を
正しく伝えるということが欠けているのだそうです。

(親だけでなくて、
学校の先生も同じでしょうけどね…。)

〜〜〜

子育ちで、
遠藤さんは「早期教育は好まない」
「早期教育はファンタジーを否定する」と言っていました。

マツお母さんもファンタジーって大事だと思うのです。
幼児期だけでなく、
「学習」の場面が出てくる6才以降の児童期にも、
必要なものなんじゃないでしょうか。

どんぐり倶楽部の「良質の算数文章問題」は、
ファンタジーを大事にしていていいなぁとマツお母さんは思うのです。
シュタイナー学校とかに行かなくても、
普通の近所の小学校に通いながらでも、
感動したり、楽しく考え続けたりということを家庭で工夫してできて、
なおかつ子の心からファンタジーを奪わない教材なんじゃないかなぁと思います。

シュタイナー教育本に『7歳までは夢の中』という本がありますが、
6歳以降いきなり日常言語になってしまったら、
味気ないように思います。
だって、まだまだサンタさんを信じているんですから(^_^)

〜〜〜

なんだかうまく書けませんでした……。

マツお母さんにとっては、
ウメ子ちゃんが「どんぐりは楽しい♪楽しい♪ウメ子はお勉強をもっといっぱいやりたいな〜」
って、歌いながらやっているのが何よりなんです。
理論とかよりも、
わが子のありのままを見ることが本質なのだろうと思います。

でも、
考えだしたらやめられないんだな〜〜(^_^;)
マツお母さんも文章にしてみることで頭の中を整理したいのかも。

続きます。


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13 どんぐり倶楽部」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。突然コメントですいません^^;私、4歳3か月の男の子の母です。
私はどんぐり倶楽部からここにたどり着きました。まだ4歳ですので、どんぐり問題はやっていませんが、育児の指針にと参考に読ませてもらってます。
そして、こちらのブログを参考に「子育ち」…たぶんもどきにしかなっていないと思いますが、やらせていただいております。
私の今までの育児は、たぶん過保護で過干渉^^;
服を着替えるのも靴を履くのも3歳までやってあげてました^^;
本人がやりたがるのを待っていたけれど、まったくその気配なく、多分それは小さなやりたいというサインを見逃していたのかもしれません。そして、やってもらうのが当たり前の状態にさせていたんでしょうね・・・と、今だから思うわけですが(笑)日々、過保護にならず過干渉にならずにと、気を付けてはいるけれどなかなかうまいこと行かないなーどうしたらいいのかなーと、悩んでいた所に、あ、こういう事か!と、すんなり自分の中に入ってきて、そして実践につなげる事ができ・・・・つつある?のかな?(笑)のが「子育ち」でした!

真似で返す。
母は教えない。
子を受け入れる。

とりあえず、この3つを頭に入れて日々を送っています。
子を受け入れるが、なかなか難しいこともありますが、以前よりは出来るようになったんじゃないかな?と思っていますが^^;
真似で返すも、行動や声の調子までまねるというのは、なかなか恥ずかしい気持ちもあって、なかなかですが、でも、やると楽しいですね。自分も子供に戻ったような(笑)
教えないも、今までは教え魔でしたが、教えないと、自分で考えて何か言うんですね。いい線行ってるね!というときもあれば、え?そなの?という時もありますが、それもまねで返して、楽しんでいます。
しかし、指示はなかなか難しいですね。
淡々と出していけばよいのでしょうが、全部「いや」と返されます。
こちらから言わなければ、突然洗濯物干してあげるよ!(途中までしかやりませんが)とか、それ持ってあげるよ!とかやってくれることはあるんですけど、こちらからの指示はまるで受け付けません(涙)
いやというのも大切なこと、と自分に言い聞かせるのですが、どうしてもイライラは隠せません。
やはり、指示には従うべきという、なんかよくわからない習慣というか、なんでしょうねー自分の中にあります。これを打ち破らないと!と思いますが・・・がんばります!

長くなってしまいましたが、子育ちブログを書いてくださってありがとうございました。というお礼のメッセージでした^^;


マツお母さん、先日はありがとうございました。

夜勤の時はなぜ早く寝るか、よく考えたら朝はいつも通り9時頃起きて、いつもの夕方の昼寝の時間にお風呂に入ったり、その後も眠たそうにしていたら、起こして夕飯食べたりして、お昼寝がなしだったので21時頃に寝ることができていました。
夜勤の時でも風呂の後等、夕方に寝てしまうと夜寝るのはいつもどおりの23時でした。
お昼寝も大事だと思うし、寝させないように眠たそうでも起こした方がよいのか、悩むところです。

夕食後から21時までは、私が食器の後片付け等家事をしていて、子どもは遊んでいたり、テレビを見ていたり・・・しています。
私が隣にいないと起きてきてしまう子なので、どうしても自分も一緒に寝ちゃっても大丈夫な状態にしてからの寝かしつけになってしまいます。

今日の記事にもあった、真似で返すことで分からないことがあるのですが、子が「これ何?」とか「何してるの?」と質問してくる場合、生活の場面、例えば料理している時に聞かれれば、「ピーマンだよ」と答える、食事中に聞かれれば、食事中も生活だから「ピーマンだよ」と答えてもよい、でも散歩中は遊び?だから「これ何?」と聞かれても「何だろうね」と返す、これで合っていますか?

答えないと、「教えてよ!」と怒ってくることもあるので判断に迷うことがあります。

散歩の時に、きれいな花があったり、チョウチョがいたりすると、つい「見て、あそこにきれいな花があるよ」とか声をかけてしまいますが、あまりそういう声かけも母親からはしない方がよいでしょうか?

ちゃたろうさん、初めまして。コメントありがとうございます。
子育ち、育児の参考にしてくださいね。「どんぐり倶楽部」のための環境設定にもぴったりだと思います。

ちゃたろうさんが頭に入れている3つですが……
「子を受け入れる」というのはちょっと違うんです。子を受け止めようとするなんです。
実際にやることは、真似で返すということなんですが、子に真似で返しても、母親は子の要求を受け入れるわけではありません。
例えば、買い物に一緒に行って「これが欲しい!」と言われて、受け入れようとしたら買わなくてはいけません。「これが欲しいね」と真似で返しつつ、買わないんです(買ってもよいものなら別にいいのですが…)。「向こうまで行くよ」とその場から立ち去る指示を出したほうがいいですしね。騒ぐようなら、抱き上げてその場から去るとか。
最初から「買いません!」と言ってしまうのではなくて、買うつもりが全くなくても、欲しいなんて全く思っていなくても、「欲しいね〜」と子の気持ちを真似で返してあげることで、子を受け止めようとするってことなんです。
受け入れる必要はありません。子を受け入れたら、やりたい放題の子になってしまいます(^_^;) 指示を出すことで律(ルール)を与えていきます。

ほとんど「いや」って返される時期がありますが、「いやだね」と何も考えなくても真似で返せるようになるとイライラもなくなります。最初は結構修行の時かもしれませんねぇ。やらない方が当たり前って思っておくこと。「いやだ」っていう気持ちをハッキリ伝えられるように母親を相手に練習をしているんだと思うといいかもしれません。

マツお母さん、ありがとうございます。
そうなんですよね。どんぐりの環境設定と子育ちは、すごく近いものがあると感じました。
というより、子育てって、こういう事なのかな?と気づかせていただいたという感じです。
私の勘違いはちょっと恥ずかしいですが、分かってよかったです^^

受け入れると、受け止めようとするは違うんですよね^^;
過去ログにもあったと思うんですけど、消化していなかったみたいです^^;

この、「~しようとする」が重要なのでしょうね?
「受け止めようとする。」ですね。

「決して否定はしない。君の気持ちは分かったよ。」という事を伝える意味で真似で返す。
生活の中で、指示を出した時に「いやだよ、やらないよ」と言われたら、「嫌だという気持ち、分かったよ。」という事を伝える意味で、「いやだね」と返す。ここで、イライラする必要はないんですよね?だって、嫌なんですもの^^;私だって、嫌なことは嫌ですもの。
嫌だってハッキリ言えることって、社会に出てから結構大事ですよね^^;その練習台に私を使ってください。という気持ちでいます^^

「受け止めようとする」ですが、
幼稚園まで片道20分くらいあるのですが、歩いて行ってます。これはどんぐりも子育ちも知る前から、子供は歩いてなんぼという思いがあって、車に頼らずに行こうと思って行っていることですが、幼稚園にあまり行きたがらない子なんですね、うちの息子は。それで幼稚園が見えてくると、とたんに「疲れたー」と言って座り込むんです。子育ち知る前は、「ほら行くよー。遅れちゃうよー」なんて言ったり(怒ったり)、おんぶして行ったりしてたんですね。だけど子育ち知ってからは、「疲れたねー」と穏やかに返して、少し待ってから「立ってくださいね」と穏やかにいうと、ゆっくりですが立つんです。そして歩き始める。「これが受け止めようとする」なのかな?と思いました。

まだまだ、勘違いあるかもしれませんが^^;
少しづつですが、子育ちを自分のものにできたらいいなと思います。

モモさん、お返事が遅くなってごめんなさい。

お昼寝も大事ですし、起こさない方がよいのですが、23時に眠る日課にしてしまっているのを、なるべく早く布団に入れるように修正するのが先決だろうと思います。日課が安定してくれば、昼寝の時間ももっと早い時間にできるように調節できると思います。

19時過ぎに夕食を食べて、その後入浴なんですよね。モモさんは、お子さんとご主人がお風呂に入っている間にできるだけの家事を済ませて、もし、食器など残ったとしても、あきらめて明日の朝にまわすなりして、今は第一にお子さんの日課のことを考えてあげた方がよいのではないかなと思います。私なら、家のことよりもわが子のことを優先させます。ちょっとくらい散らかっていても大丈夫ではないかなと。例えばですけど、しばらくは使う食器の数を減らしてみる…とか家事を時短でする工夫もできたらいいかなと思います。

寝る前の時間にテレビがついていない方がいいですね。なるべく静かにして、部屋の照明も暗めにして、眠る前の環境を整えてあげれたらよいですね。
日課が安定したら、お子さんが寝てから寝室を出て大人だけで静かにテレビを見るということもできますよ。それまでは録画するなりして、見る時間をずらすとか。

「これ何?」「何してるの?」に対しては、みんなとりあえず「これ何だろうね」「何してるのかな〜」って真似で返していいと思います。私の考えですけどね。
料理をしている時(生活の場面)だったら、「ピーマンを洗ってください」とか「ピーマンの種を取ってください」とか「ピーマンを切ってください」とか、「指示」の中に登場させるって感じかな。食事の時だったら、「ピーマンも口に入れてください」とかかな。
「これ何?」っていうのと、「お母さん、小さいスプーンどこにある?」っていうのとでは、質問の質が違うと思うんです。後者なら、「食器棚の左側の引き出しを開けてください」って指示を出します。

「教えてよ!」と怒ってきても、私なら指示以外では教えません(教えちゃう人もいると思いますけどね)。

散歩中の声かけもなるべくしないようにしています。あ〜、ここに珍しい花が咲いてるな〜って気がついても、ウメ子ちゃんが気づかなかったらスルーします。私も時々、声が出ることがありますが、本当にびっくりしたとき発見したときとかはいいんじゃないかなと思ったり(^_^)大人はいろんなものが見えちゃうけど、教えてあげようって思わなくてもいいんじゃないかなぁと思います。後ろをついて歩いてると、何が見えて何を考えているのかわからないですけど、小さい子なりの世界があるんでしょうねぇ。

ちゃたろうさん、こんばんは。

「受け入れる」と「受け止める」の違いは、結構みんなやってしまうところだと思います(^_^)受け止めるではなくて、受け止めようとする、でいいんですよね。
真似で返すのは、お子さんと一体化するってことです。「お母さんも同じだよ」って。でも、指示を出すんですけどね。

そうそう、練習台に使ってもらいましょう。母親だからこそ、遠慮なく「いやだ!」が言えるんです。

幼稚園までの登園物語、いいですね〜♪ 「疲れたー」「疲れたね〜」のやりとり、少し待ってあげて、指示を出したらまたゆっくりお子さんのペースで歩き出す。子育ちって感じです(^_^) 
お母さん自身はちっとも疲れていなくても、「疲れたね〜」って、真似で返して、お子さんと一体化する(「お母さんも自分と同じように疲れたと感じている」とお子さんに勘違いさせる・笑)ということが、受け止めようとするってことなのかなと思います。

マツお母さん、こんばんは。

幼稚園の登園の様子、子育ちって感じですか?^^
そういってもらえて嬉しいです。

真似で返すのは、「分かったよ」という事を伝える意味ではなくて、「そうそう、お母さんもそうなの。同じなのよー」って子に「お母さんも同じなんだ♪」って勘違いさせるのですね(笑)他の人にも「同じだよ」って言われると安心しますものね。
これが、受け止めようとするってことなんですね。
「受け止めようとする」が、自分の中に入ってきたような気がします。
受容って何よ?受け入れるって?受け止めるって?いう長年のモヤモヤが晴れたような気がします(笑)


だから、モモさんの質問にあったような、生活の場面でも「これなーに?」って聞かれても、「これ、なんだろうねえ?」でいいのですね!?「お母さんもわかんない。これ、なんだろうねえ?」なんですね?
でも、指示の中でその言葉なりを入れて、その子が自分のものにするのを待つ。って感じですか?
私も、生活の中だから答えていいのかなあ?どうなんだろう?と思っていたので、良かったです^^

ちなみに、うちの子も私が教えないと決めた時から、「なんでよう!教えてよう!言ってよう!」って怒ってました(笑)
最近は落ち着いてきたかな?むしろ教えてもらわない方が、本人嬉しそうな気もします。

散歩中も、よく教えてたんですよねー^^;
今は、我慢してます(笑)
でも、つい教えちゃうこともあるんですよね^^;
「今なんか聞こえたー。公園のと同じの!」って言われちゃうと、公園にキツツキが来てて、トントンしてたんですね。それで、「あ!キツツキだー!」ってやっちゃってて、帰り道でも聞こえてきてて息子に言われるとまた、「あれはキツツキだよー」なんて^^;
でも、その直後、「おんぶー」とか始まったから、教えたのがいけなかったのかなあ?なんて反省したりしました。関係ないかしら^^;
「おんなじだねえ~」で良かったんですよね。反省です。

マツお母さん、何回もお返事いただいてありがとうございました。
お子さんがいる中で、ブログ書いたり返事書いたりと大変かと思いますが、
ご自愛なされながらなさってください。

ちゃたろうさん、
遠藤さんは「なんでもかんでも受容するっていうのは間違っている!」って言っていました。だから、受容、受容と言っている『子どもへのまなざし』の佐々木正美さんが好きではないようです(笑)有名な本ですけどね。私も「子育ち」受講する前に図書館で借りて読みましたが。
受け入れると受け止めるの違いがハッキリすると、楽ですよね(^_^)

教えないでお子さんの気持ちと一体化してみるのも楽しいと思うんです。未知のもので溢れているってことが、よく分かります。「これ何?」に「これ何だろうねぇ?」って返した後、指示をだしたら、ほとんど教えちゃっているようなものだけど、まず受け止めようとするこのワンクッションが結構大事かなぁと思っています。

キツツキが身近にいるんですね!! 見てみたい! 
反省も大事ですね。意識するようになったら、教えないで真似で返せるようになりますよ。修行みたいなものだなっていつも感じています。

ブログはなんとなく慈善活動的な感覚で、私には1円も入ってこないですけど、「子育ち」がきっと世の中のためになるだろうと信じてやっています。って書くと、まるで布教みたいですが(笑)。
私の身体のことまで心配していただいてありがとうございます。無理な時は遠慮なくお休みしますので〜(^_^)

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