« ウメ子ちゃん(5才3ヶ月)の「どんぐり倶楽部」 | トップページ | マイナス1才からの子育ち »

2017年5月10日 (水)

「子育ち」と「どんぐり倶楽部」 その5

「子育ち」では、
9.5才までは「生活」と捉えています。
小学校の「宿題」も、
低学年までは「読み・書き・計算・漢字の書きとり」は「生活」の場面で、
母親が指示を出してもいいことになっています。


でも、
ほんとうに「生活」の場面と捉えていいのでしょうか。

9.5才までの間の育児の中に、
「学習」の場面はでてこないのかなぁと疑問に思うのです。
(遠藤さんも出てこないとは言ってないのですが、
きっと具体例が乏しいんじゃないかと……^^; )

前回(→「子育ち」と「どんぐり倶楽部」その4)、
6才から9.5才の間に、
意識的に考えるということをしていかないといけないんじゃないか
と、
書きました。
つまり、
「生活」の場面だけじゃなくて(もちろん「遊び」もですが)、
この時期に「学習」の場面が必要だよね……ってことがマツお母さんは言いたいのです。

マツお母さんはウメ子ちゃんの「学習」に、
「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」を使っています。
意識的に考えるという力をつけるためです。

〜〜〜

「どんぐり倶楽部」で「意識的に考える」とは、
要は「絵図を自力で描き起こして、その絵図で考える」ということです。

思考回路を効果的に作ろうと思ったら、
常に言葉とリンクしていることを意識できる形での
視覚イメージを使った学習形態でなければいけません。

「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」では、
どうして絵図を描くのか(お絵描きをするのか)?

それは、
処理に使えるエネルギーの問題なのだそうです。
頭の中で視覚イメージを持続するのは、
無用のエネルギーを大量に浪費することになります。
手を使って絵図を描き、
目を通して必要な視覚イメージを瞬時に利用することで、
頭のエネルギーを効率的に「考える」ことだけに使えるのです。

どうして「言葉」や「数式」ではなくて、
「絵図」で考えるのかというと、
人間は言葉や数式そのもので考えているのではないからです。
言葉や数式は視覚イメージを導くためのトリガー(引き金)にすぎないのです。
それに、
幼児・児童期の子には自在に操れる「言葉」そのものが非常に少ないのですが、
視覚イメージはというと自由自在で、
なおかつ、体を制御する時など生まれた時からずっと使い続けているのです。

もんのすごーくおおざっぱに言うと、
小さい子には文章ばっかりの本よりも
絵本の方が分かりやすいよね(イメージしやすいよね)っていうのと
同じかなぁと思います(^_^;)

〜〜〜

例えば、
お買い物リストを考えたりすることも、
料理を人数分取り分けたりすることも、
火を使って調理することも、
「生活」の中での「学習」と言える部分があると思います。

それに加えて、
砂や水で遊んだり、
お絵かきをしたり、工作をしたりとか、
そういう「遊び」の中でも「学習」の準備ってされているものだとも思うのです。

なんとなくですが、
「学習」の最初の頃(導入部分)って
「遊び」と「生活」とが濃厚に混ざり合ったもので、
大事なのはハッキリと意識して工夫をしているかどうかなんだろうなと
マツお母さんは思います。
机に向かうだけが「学習」ではないのだろうとも思います。

〜〜〜

どんぐり倶楽部の問題を解いている最中は「学習」の場面だと思っていますが、
「生活」の場面となるのは、
「どんぐり倶楽部」をやる時間を週課の中に確保して(週に2問までというルールです)、
それを指示出しする部分でしょうか。
つまり、
母親が「今からどんぐりやろう〜」って声かけ(指示出し)する。
もし、子が「嫌だ」と言えば、
「嫌だね。また今度やろうね」って言う感じ。
ここでは、やらせることではなくて、
何度でも指示出しをすることが大事なのだと思います。

「子育ち」での「学習」の場面の子への返し方は、
教える・説明する(褒める・叱る)となっています。
これは父親の役割なんですけどね。

でも、
やっぱり、
「どんぐり倶楽部」をやっていて、
「学習」に関しては、親は教えないほうがいいなとマツお母さんは思います。
取り組んでいる最中の返し方は「遊び」の場面と同じで、
自分の頭で考えてもらうために、
真似で返すというやり方が一番なのではないでしょうか。
特に、横についているのはたいてい母親(性別ではなく役割)ですしね。
(どんぐり倶楽部では、
「家庭で考え、学校で教わる」というのが基本です。)

「子育ち」では、
低学年までは宿題でも指示出ししてもよいということになっています。
(☆過去記事→小学校の宿題について
計算ドリルなど、
「3たす4は7だから、ここに7って書いて」って指示を出して、
サクサク終わらせるってことです。
何のために宿題が出されるのかって言ったら、
たぶん「毎日学習する習慣をつけるため」なのでしょうけど。
計算などはほとんど頭を使わない単純作業なので、
気分が乗らないのにダラダラと時間をかけてやるものではないってことです。


それよりは、
『時間通りに終わらせることの方が大事』
『出された宿題を「終わるまでやりなさい」は拷問』
と、遠藤さんは言っていました。

宿題が「学習」ではなくて「生活」となっているのは、
そもそもその宿題の質が悪いのだと思いますが……。
頭を使って考えるのではなく、
無意識に反射的にやるものだから「学習」になり得ないんだと思います。

それから、
「生活」の場面でいうと、
『「生活」をトレーニングするのは失礼』
『「やだ」はイメージできているからやったことと同じ』
この言葉がマツお母さんにはとてもしっくりきて、
宿題が「生活」と捉えられるとしたら、同じことが言えるんじゃないかと思うんです。

暗算でするような計算問題を20題とか40題とか、
同じ漢字を何十回も書かせたりとか、
そういうことって、トレーニング(訓練)と何も変わらないんじゃないでしょうか。
すでに「できる」ことを何十回もやりたくないものです(大人だったら気分転換になるかもしれません)。
「できない」としたら、量が多ければそれこそ拷問の時間になってしまうでしょう。
「生活」なら、本当の「生活」の中で体験としてやった方が何倍も身につくのだと思います。
読み・書き・計算などの偽物の「生活」をどんなに徹底しても、
「学習」ではないので、思考回路は増えないのではないでしょうか。


宿題を「生活」と捉えるならば(つまり、質の悪い宿題なら)、
指示は出しても、
強制はしないで、
子の「嫌だ」を保証してやる必要があると思うんです。
(例えば、連絡帳に「ここまでしかできませんでした」と書くとか、
指示出ししてさっさと終わらせるとか。)
とにかく、頭も身体も使わないような「生活」の場面には時間をかけないで、
「学習」となる時間を確保した方がよいだろうなっていうのが
マツお母さんの考えです。

う〜〜ん。
う〜〜ん。

……というか、
6才までにつくられてきた日課の骨格である「生活」部分は、
6才以降もたいして変わることはないと(マツお母さんは)思っているので、
そこに宿題みたいな偽物の学習っぽいものが「生活」として加わってくるというところに、
マツお母さんは違和感を感じているのかもしれません。
「生活」って衣・食・住(睡眠)が基本で、
生命をつなぐものだと思っているので。
もっと広い意味での生活なんでしょうけどね……。

日課は「生活」で骨格を作り、
残った時間が「遊び」と「学習」になる。

学校に滞在している時間は別として、
6才以降はこれまで「遊び」だった時間の中で、
「学習」の時間をいかに確保するかってことなんじゃないかなぁと考えたりもしています。

〜〜〜

……って言いつつ、
宿題などは近所のママさんたちから聞く情報ばかりなので、
マツお母さんまた一人で頭の中で突っ走ってますけどね。

違うんじゃないかな……って思われたら、
遠慮なくコメントしてくださいね(^_^;)


ウメ子ちゃんが来年小学校にあがるのが、
いろんな意味で楽しみで楽しみで仕方ないです。

にほんブログ村 子育てブログ 自然育児へ
にほんブログ村

« ウメ子ちゃん(5才3ヶ月)の「どんぐり倶楽部」 | トップページ | マイナス1才からの子育ち »

13 どんぐり倶楽部」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。3人の子を「子育ち」中の母親です。どんぐり倶楽部については、マツお母さんのブログの中の情報しか知りません。

真ん中の子は小学校高学年で、学校のお勉強は得意な方ではありません。本人の好き嫌いでいうと、「嫌い」なようです。
その様子を見ていると、分数の計算をするとき、通分、約分にとても時間がかかります。
分母の6と18なら、かろうじて、6に何かかければ18になりそう……と思いつきますが、12と18になると、お手上げでいきなり12と18をかけたりします。割り算で商をたてる(36÷7で、パッと5×7で35だな、6だと36より大きくなるな)のも苦手です。
私が思うに、九九が完全に身についていないのと、低学年の頃の単純な計算問題をやった量が少ないために、直感的な数字の感覚が体に入っていないんだと思います。
生活でいうなら、ご飯を食べるとき、箸の上げ下げをいちいち考えててやっているようなものなのではないかと。柔らかい豆腐をつかむから箸はこのくらいに広げて、これだけの量が箸に乗ったら次は、なんて考えていたらご飯を食べるの苦痛だと思います。
算数も、分数の計算→分母の通分→12と18ならどっちも6の段が使えるなとか。考えずともパッと到達できないと辛いと思うのです。

長くなるので、結論を言いますと、計算も漢字も学習の基礎体力として、「身につける」には、9.5歳くらいまてにそれなりの量を繰り返して置かないと、学習が深まっていかないような気がしています。

smileさん、ありがとうございます! 「子育ち」している方からのコメントとっても嬉しいです。
お子さん3人いらっしゃるんですね。子育ち歴は長いのでしょうか?お話聞いてみたいです。

真ん中のお子さんの学習が深まっていかない原因が、低学年の頃の計算問題不足によるものだと感じているってことでしょうか。 低学年の頃に単純な計算問題をやった量が少なかったというのは、どのくらいすくなかったのでしょう?(私にはその点は良い事のように聞こえてしまいます…^^;)上のお子さん、下のお子さんはどうですか?「学習」の場面ではどういう風に工夫していますか?

どんぐり倶楽部の文章問題の中には、計算する部分もでてきます。筆算が必要になってくる頃には、筆算の中にたくさんの単純計算が入ってきます。でも、おもしろくない単純計算を何問も繰り返してするくらいなら、おもしろい文章問題を解いて、その中に筆算が1つ入ってくる方が、子の心を傷つけないのではないかと思うんです。

「生活」は身体の動きをコントロールするものだから「下意識」なんですよね。お箸の使い方にしても、意識しなくても体が動くようになることですもんね。体の動きに関しては、体験を通した反復が必要な事だと私も思います。

分数の足し算・引き算に関しては、どんぐり倶楽部だと、必ず分母同士をかけるという手法をとります。その後、約分していきます。「2だとどうかな?」「3だとどうかな?」「あ、6の段が使えるな」…っていうことを考えることなしに、必ず同じ手順を踏むことが基本です。本人が気付いて計算を工夫する分にはいいのかもしれませんが…。
だから、分数の通分、smileさんのお子さんのやり方で大丈夫だと思います。 12と18をかけることは間違っていません。最小公倍数を探すというやり方を基本としてしまうと、12と18ではなく、13と28だったら……、数字に弱いならなおさら、余計な時間をつかって最小公倍数を探そうとするかもしれません。通分や約分は基本を理解していることが大事で、スピードが早いか遅いかは、「学習」の深まりには直接関係が無いのではないかなぁと思います。パッと到達できないことの辛さってどこからくるのかなぁと思いました。 お子さんにとって大事なことは、母親がスピードや速さを要求しないことかなぁと思うんです(^_^)

ちなみに、どんぐり倶楽部では、九九は全て覚えなくてもいいことになっています。「三角計算」というのでやっていきます。九九なら、81種類だけど、三角計算だと覚える項目は36個のみです。で、これがかけ算にも割り算にも使えるんです。とても便利なものなので、数字が苦手なお子さんに見せるだけしてみてはどうでしょうか?「三角視算表」を自作して(検索したら出てくるはずです)、計算するときに横に置いておいても助けになるのではないかと思います。

私の考えでは、「学習」の基礎体力が、漢字を覚えることや計算を早くすることではない……と思っているんです。
「人の話をよく聞くこと」、「人の話をよく理解すること」、「抽象的なことをイメージできること」、だと思うんです。人の話をよく聞くことは、子育ちっ子ならクリアできると思っています(^_^)

マツお母さん、お久しぶりです。
私もどんぐり倶楽部については詳しくは知りません。
糸山さんの『絶対学力』を読んだり、仕事の研修の資料で糸山さんの書かれたものを読んだ程度です。
『絶対学力』を知ったのは、娘が小学1~2年生くらいの時でした。彼の他の著書の巻末に載っていた良質の文章問題をコピーして、幼児向けのものから遡ってちょこちょこ娘とやっていたこともありました。(私の仕事が忙しくなり手が回らず、いつのまにか自然消滅してしまいましたが……)

違う……というより、そもそも何が正しくて間違っているかと決め付けてしまうのも?というか、その人自身の主観の問題だと思うので、「考え方の違い」と言った方がいいのかな?

結論を申しますと、私自身、遠藤さんが推奨されている?陰(正しくはパソコンじゃ出ない~)山さんとどんぐりの糸山さん、どっちを信じればいいの~?と悩んだ時期がありました。どっちの考えも「そうだな~」と共感できたので。(少なくとも私には)

夫にも相談したら「算数(数学)にはどっちも必要なんだよ」と。
素直に両者のいいとこ取りというか、和洋折衷というか、二本立てで行くぞ(中庸をとるぞ)とストンと自分の中で腑に落ちたのです。

いわゆる悪質の宿題(計算・漢字・音読)は作業で、「できる能力」と言われているそうです。
10の補数や九九の反復練習は必要だと思うし(これはスピードも)、計算は量をこなさないとできるようにはならないと思います。それこそ訓練です。
遠藤さんのおっしゃる指示教えも、要は丸覚えしろと言ってるようなものなのかしら。
それが実際のところ、「学習の場面」なのか「生活の場面」なのか、判断は難しいです……。

ただ、「できる能力」だけ特化して伸ばすのはいけないってことなのかな?と私は考えました。
他に必要な能力、マツお母さんがおっしゃる思考力、「わかる能力」のことです。

確かに、9歳までにこの思考力をつけないと、小4からの抽象的な分野が出てくる算数でつまずくんですよね。
私自身も算盤をやっていて計算ばかりやっていたから、文章題が苦手でした。

なので、娘には同じ思いをさせまい……と(苦笑)、100マス計算もやったけど、糸山さんがおっしゃる「視考力」をつけてもらおうと、できるだけいろんな体験をさせたり、本人が好きなことを大事にしたり、文章題(どんぐりほど良質じゃないけど、教室のプリント)で絵やテープ図、表を描けるような、そんなことをしてきました。

悪質の宿題は、ちゃっちゃと済ませて(本当にすぐ終わる)、音読も低学年のときは本人がおもしろくないというので、教科書じゃなくて好きな本を音読させてカンベンしてもらったり、中学年の時はやってないのにやったことにしたりなど、かなりいい加減な感じでした。(今もですが)

長くなってしまい、すみません。
まぁ、こういう人(考え方)もいるよってことで(^-^;
マツお母さんの主観で進められるといいと思います。

ひなこさん、おひさしぶりです! コメントありがとうございます(^_^)♪

考え方の違いというのはその通りなのです。育児のやり方は母親の主観で決めていくしかないんですけど。でも、遠藤さんが「育児に正解があるとしたらこうじゃないかな」と思いながら子育ち理論を作っていったように、おそらく正解みたいなものがあるんじゃないかと思っています。

ひなこさんもどんぐりの文章題こそ使っていない(というかやめてしまった)けれど、文章題を絵図で解くようにしたり、体験を大事にしたりって実践してこられたのですね。あの教材を使わないといけないってことではないと思うんです。大事なのは、言葉をイメージに変換して操作することだから、別の文章題でも絵図で解く力がつけられるならそれでいいかなと思います。子育ちっ子は思考回路、たくさん獲得していると思いますし。
どんぐり倶楽部では、音読は教科書の指定された箇所ではなくて、絵本でもなんでもいいから子の好きなものを読むようにさせるようです(もしくは、読んでいないけど読んだことにするか)。ひなこさんのやり方と同じなんです。「本人がおもしろくないと言ったから」→わが子を受け止めてから、宿題が楽しいものになるように家庭内でアレンジしていたってことですよね。
悪質の宿題がちゃっちゃと済むのも、子育ちっ子だからこそ余裕があるからじゃないかなと思うのですが、どう感じますか? 周りの子もそうでした? 学校も先生も違うから宿題の量も違うでしょうけど、日課が乱れている子が1時間も2時間もだらだらとイヤイヤ宿題をやっている…なんて話、近所のお母さんからよく聞くんです…(子育ちを知らない方々ですが)。

10の補数と九九(というか三角計算)は必要だと思います。ただ、量とスピードは多ければいい、早ければいいってものではないんじゃないかなって思って、やっぱり、陰山さんが「百ます計算のタイムがあがれば、授業がよくわかるようになるし、文章題もスラスラ解けるようになります」と『本当の学力をつける本』の中で言っているのが、さ〜〜っぱり理解できないんです。
考え方の違いなのかもしれませんが、そうなると、「子育ち」の学習に関する捉え方に私の中で疑問が出てくるんですよね。あくまでも、私の中でです。

私は、私の主観で、子育ちを軸に、学習の場面には糸山さんのやり方を取り入れてやっていくことに迷いはないです。
なのに、何をぐちゃぐちゃと考えているかというと^^;、できる限り遠藤さんに母親の実感をフィードバックしたいからです。遠藤さんが「育児がうまくいかないときは理論を疑ってください」と言っていました。私はうまくいっていないとは感じていないのですが(むしろ、ウメ子ちゃんが5才4ヶ月の時点でかなりうまくいっているな!って実感しているのですが)、この先「学習」の場面が入ってきたときに、子育ちだけで本当に大丈夫かな、学習の場面に関しては理論が弱いんじゃないかな…って思っています。だから、子育ちを実践しているお母さんたちの学習の場面に関するいろんな考えや工夫やお子さんの様子が知れたらいいなと思います(^_^)

「子育ち」も「どんぐり倶楽部」も、理論があってそれぞれ細かいんですけど、やっているお母さんたちをいろいろ見ていて、みんな結構ゆるゆるだな〜〜って感じています。どっちもキッチリ丁寧にやろうと思ったら、母親にかなりの努力が要求されるから、このくらいでいいや〜って思うのかもしれないですね。私はおもしろいから、やってみます(^_^)

こんばんは。

別スレですが、ご懐妊おめでとうございます。

生活場面も学習場面もゆるゆる~なまま過去完了してしまった私ですが…。

ざっくり言って、子育ち実践をしてきたお母さん達のかなりの方が、過去に一度はどんぐり倶楽部に興味を抱かれた経験があるのではないか、と思います。
子育ちに心惹かれるタイプの方が好みやすいメソッドだと思います。
私も、御多分に漏れず、息子が小学1年生の時に計算問題ばかり”正しく速く”やることに嫌悪感をみせた時、情報収集をする中で『絶対学力』も読み、HPも、あちこちリンクが飛ぶのを我慢して一生懸命読みました(そして多くのメソッドの本を処分した今でも本棚に『絶対学力』は残っています)。

その時は思考力問題の多い通信教育を本人が選び、漢字・計算に加えるという形に落ち着きました。
2年生になって、学校での学習単元の深い(難しめの)学習を担任の先生に提案された時に、どんぐり倶楽部の良質の文章題で絵を描いて問題を解くやり方やわからん帳のことを思い出しながら、文章題1題につきノート1ページを用意して、絵や図を描いて考え、式や答えまでを書く、という学習を追加していきました。

一方で、マス計算も続けていました。
1年生の時も、2年生の時も、3年生の時も、1年生でやるような、足し算や引き算もマス計算しました。
マス計算前に、計算カードもしました。
基礎基本の漢字や計算、応用の通信教育や文章題や難語の短文作成は、家庭学習における両輪、という考えでした。
通り過ぎた今ふりかえっても、漢字学習、計算練習は、”偽物の学習っぽいこと”で、思考回路をだいなしにした、という印象はもっていません。
(まぁ、正直、反射って呼ぶほど高速になれなかったんですけどね、うちの場合は)

そして、どんな場合も、生活場面の日課への切り替えだけは、しっかり意識して頑張りました。

そうそう、マツお母さんは、6~9.5歳は生活場面で宿題を行う、という点に疑問を持たれているようですが、私は、最初から、学校は学習場面なのだから、学校から持ってくる宿題を行う時間、また家庭学習を行う時間は、学習(教育)場面と割り切っていました。
これまでの日課に、学習場面の日課を組み込むイメージ。
で、これまでの遊びや生活場面で実践してきたマネや具体的指示を学習場面で行うとしたら、どんなかな~って考えていました。
”教える、説明する、は、まだ先。”、”今はマネと指示による学習場面”って受け止め方だったんです。
(この受け止め方では、子育ち理論としてまちがっています、ゆるゆるです、と指摘されてしまうと、20年近くも前に、息子は0~1歳で実感もなく、一人きりで受講したため他の方が熱心に質問する、ということもなく、受講当時この辺りの話がしっかり聞けていなかった自覚もあり、反論のしようもありませんが。)


我が家では、マス計算も漢字学習もしたけれど、陰山メソッドが唯一無比の家庭学習メソッドだ、とは別に思っていません。
そもそも万人にとって完全無欠な家庭学習メソッドがあるかもしれない、と思うこと自体に無理がありますよね。
マツお母さんには、入学前の今から、○○をしたら、こんな悪いことがおこるに違いない!って強迫観念を育ててしまわないようにって思います。
今は、楽しく、どんぐり倶楽部の問題に取り組まれ、微笑ましい様子をみながら、生活場面にそっと学習の役に立ちそうなシーンをしのばせていかれたら、それで、入学前準備としては十分ですよね、きっと。

子育ちっ子って、適応能力高いので、入学したら、ウメ子ちゃん本人が「ウメ子は自分で全部宿題をして学校に行きたいんだよ?」って言ってくる可能性も低くはない、と思います。
今の時点で、そんな場面を想像してみて、だけどこんなに何回も漢字を書いていたらウメ子ちゃんの思考回路はどうなるの?って不安になりそうな気がしているようなら、ちょっと肩に力が入りすぎてるかもしれませんね。
親が良かれと思っても、自分は選択しないと決めたら、堂々と自分の選択で動くのが、子育ちっ子です。
みんな、それで泣かされて(?)ますから…(笑)。
いいもの見つけた、は、これでなくっちゃ、とは違う、くらいに思っておくと、親も余裕をもって対処できるような気がする古株ママです。

初めて子育ちを受講したのは、10年ちょっと前ですかね~~。こりゃあ、すごいものに出合った!と実践したての頃は、子育ちしてたらそんなことで悩まないのに……とか他人様を見て思ったり、子育ち先輩のたよりの記事を読んで、ウチの子もいずれこうなるのね……と思ったり。今なら赤面するような、子育ち原理主義者だったかも💦💦
学習について、ですが。抽象的な言い方になりますが、上の子(中3、女)は学ぶことに素直に喜びを感じ、楽しく吸収し、考え、向上を求めることができます。教科や内容に好き嫌い得て不得手はありますが、机に向かってお勉強すること、が楽しいのです。
幼稚園の頃から、お友達と手紙のやり取り遊びをよくしたので、絵だけから、嘘文字が加わり、やがて自然に、ひらがなを書きたい、と覚えました。下の子(女)は今小1ですが、似たタイプかな、と思います。
真ん中(小6男)は、ちょっと違うんですね。
学ぶことに関する受容のメーターが違うというか、回路がつながるスイッチか違うのか……
いまだに私は試行錯誤してますが、低学年の頃は、講座で聞いたように、どんどん指示を出したり終わりを意識したり、、、しても私の思うような感じにならず、かなりイライラしていました。
けど。オタミサンの最初の黄色い子育ち本に、
ヒマワリが咲くと思って種を育てるな、何の花が咲くかわかんないじゃないか。(すみません。かなり意訳というかうろ覚えです)と書いてあるのを思い出して。スラスラと学習する子かどうかは本人次第。別に秀才を育てたいわけじゃないわ。勉強が得意じゃない人生もあるよね。と思うようにしてます。

でもやっぱり、必要だと思うことが身につくように、指示はしていますよ。内容は試行錯誤ですけど。三角計算、今度探してみますね。

madamdonguriさんへ
お祝いの言葉、ありがとうございます。

madamdonguriさんもあのジャングルのようなHPに目を通されたのですね(^_^;)
それに、文章題を絵図を描いて問題を解くというやり方も実践されていたのですか〜。

多分、子育ちっ子は糸山さんが言うところの「非常に稀な余裕のある子」に育っていると思われる上に、6才までの遊びと生活の場面で思考回路は作られているだろうし、高速計算や漢字の書き取りなど‘お粗末(と言われているよう)’な宿題をやらせたとしても、たぶん重症(自分では考えられない)にはならないなんだろうな……っていう、ちょっと楽観的な考えもあります。

やっぱり、私も宿題は「学習」の場面なんじゃないかなと思っていて、その「学習」の時間を日課に組み込むという点での指示出しは毎日丁寧にやっていかないといけないことだろうなって思っています。散歩と同じように。(madamdonguriさんと同じことを言ってるのかもしれませんが……)
でも、なんとな〜くわかってきたような気がします。
「学習」の場面でも、前半と後半があって(もしかしたら、母親と父親の役割の違いと言えるのかもしれません)、返し方は前半(母親)は「マネと指示」でよくて、
後半(父親)は「説明する」になると言ってもいいのかな……。
母親の時代(9.5才までではなくて12才までかなと私は思っているのですが)には「学習」の場面であっても説明をしないから、「遊び」と「生活」の混ざった「学習」になるんだろうと思いました。私の解釈ですが。だから、指示を出す部分は当然あっても、「生活」と言っちゃうのは、やっぱりモヤモヤしますね(^_^;)

ウメ子ちゃんが「宿題言われた通りにやりたい」という可能性、高いかなと思います(笑)。特に最初は何でも楽しいでしょうしね。そこは、「子育ち」で、まずありのままを受け止めようと思っています(^_^) そのうち、表情が曇ってきたり、嫌そうにしていたりしたら、工夫が必要なんだってことかなぁと。家庭学習はひとりひとりに合わせたものであって欲しいですね。忙しい学校の先生にはなかなかできないことかなと思います。
「子育ち」にしても「どんぐり倶楽部」にしても、いいもの見つけた〜と思っていますが、常に疑う心は忘れずに、でも、なるべく素直に実践してみようとは思っています。

あ、余談ですが、無理があるのかもしれませんが、「子育ち」も「どんぐり倶楽部」もすべての子(万人)にとって素晴らしい方法だと思ってしまいます。お金もかからないですし。ただ、実践しようとすると母親の役割や努力がとっても重要になってくるので、面倒くさがりの人から敬遠されるという現実があるのだろうと思います……。そこが、完全無欠になりえないところですかね……。

smileさんへ
子育ちを10年実践されているのですね。あれ〜、もしかして、私って恥ずかしい原理主義者??(^_^;)ほとんど思想に近いですからね。育児にブレがなくなったという点でも、原理主義かもしれないです。昔からそういう傾向があります……(笑)。
だからこそ、「これって本当かな?」といつも疑うようにしています。でも、それ以上に、子育ちをやっていて良いな〜と実感することの方が今のところ上回っているのですけどね。
スラスラ学習できることが最良だとは思いませんが、楽しく学習できたらいいなぁと私は思います。家庭での学習の場面で必要なことは、指示(生活)だけじゃないんじゃないかなぁ……っていうのが、現時点での考えなのですが、これも試行錯誤ですね。やってみないと分からないことってありますしね。
お子さんたちの様子、ありがとうございました。参考になりました。下のお子さんとは娘と年が近いようなので、またいつかお話し聞かせてもらえたら嬉しいです(^_^)

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2054166/70526670

この記事へのトラックバック一覧です: 「子育ち」と「どんぐり倶楽部」 その5:

« ウメ子ちゃん(5才3ヶ月)の「どんぐり倶楽部」 | トップページ | マイナス1才からの子育ち »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
無料ブログはココログ